ディドロ効果を知る・経済観念を身につける

経済

日本に住む私たちが経済観念を身に着けるのはいつ?

海外ではお金に関する教育を小さな頃からすると聞きますね。たとえば、「経済観念」を身に着けるために、割と大きめの額のお金を幼少期から自分で管理させると言います。そうすることでお金といものの性質への理解を深め、上手に使えるようにするための訓練をするということです。このような話から見えてくるのは、「経済観念」というのは、つまり、お金の価値を体験から理解して上手に使える感覚を養うということなんだろうということです。

日本に暮らしてると、お金のこと、大げさに言えば経済 のこと、学校ではあまり勉強する機会がなかった人が多いのではないでしょうか。大人になって初めて、お金の管理をどう行ったらよいのか?という問題に直面するのが実際のところだと思います。私の場合は、子どもの頃は毎月少額のお小遣いをもらう程度で、必要に応じてお金を親からもらって買い物に行くことが大半でした。1年に1度お正月にお年玉でたまったお金も大半はいざというときのために取っておきました。

しかし、社会に出て初めて給料をもらって自由に使えるお金は、お小遣いには比べ物にならないほど大きな金額です。そして一人で暮らすようになると、家賃を払いながら、電気代、水道代などの光熱費や食費を管理していかなければならなくなります。そうなって初めて、右往左往しながら慣れない家事とともにお金の管理という仕事もすることになるということになります。 そういう場面で徐々に 「これをすれば得になる」「これをすれば損になる」というふうに経験則から 「経済観念」を地道に体得していくこともできます。たしかに基本的には 「経済観念」とは体験から身に着けるものだと思います。 しかしあまりにも経済について学ぶ機会が少なかった私たちは、自分の頭だけで考えてお金を管理していこうとすると、「経済観念」を身に着けるまでに損してしまうことが多々あるように思います。

無知のままで身に着けるよりもある程度知識を得ながら身に着けるのが効率的なのは言うまでもありません。 経済学といっても実はミクロな経済学というものが存在します。たとえば、お金をどう使うか?という選択、判断の連続が「損をする」か「得をする」かの分けれ道でもあります。大人になると、「経済観念」というお金に関しての意識や常識といった類のノウハウやテクニックを知っておくことも大切になってくきます。「経済学」というと そこまで興味のない人でも、自立した生活をするにはお金を管理することが大切だと身をもって感じるものでしょう。

「足し算」なのか「かけ算」なのか? が経済観念の基本

たとえば実際、今まででお金に関することで役に立っているのは、「足し算」なのか「かけ算」なのか?という単純なことなのです。お金に関する数字が出てきたときに、それがどのように増えていくのか、「足し算」として増えていくのか、それとも「かけ算」として増えていくのか。ただそれを意識しながら、実際に計算してみるのです。 小学生の低学年で習うことなので、くだらないことだと思うかもしれません。しかしこれがお金持ちになれるかどうかの分かれ道かもしれません。

たとえば、買い物をするとき、買うものリストにあるものの代金は「足し算」で計算します。「りんご 100 円、ほうれん草100円、魚200円、味噌300円・・・合計700円」一方、同じものをいくつも買う必要があるとき、人数分買う必要があるとき、日分買う必要があるとき、「掛け算」が出てきますね。「ジュース50円×20=1000円」「チョコレート80円×10=800円」というふうになります。 つまらない感じがする方もいるかもしれませんが、この計算を終えた段階にくると、足し算だとゆるやかな増え方をする印象を受けることがわかるでしょう。一方、掛け算になると急激に増えていく感じが手に取るにように伝わってきませんか?

もしこれが出費ならば、ちょっと危機感を感じる増え方であり、逆に、収入だとすると喜ばしく感じる増え方ではありませんか? つまり、「足し算」「掛け算」なのかを意識して計算してみることで、ただの数字から「使い過ぎなのか、ちょうどよいのか、損しているのか、得しているのか」といった目に見える感覚へ変化しているのです。 このように経済観念を身に着けるには、どれくらいのお金の量になるのかを自分の頭でイメージし、適切な量なのかどうかを判断することが大切です。そのスタートが「足し算なのか、掛け算なのか、まず意識してみる」ということなのです。

これをするだけで、それはお金の量がどれくらい大きくなるのか、どれくらい増えていくのかを感覚として理解することにつながるのです。そして、「足し算」なのか「掛け算」なのかを考えて、実際に計算してみることの積み重ねが実は「経済観念」を生んでくれる体験そのものなのです。商売をしている方が常に電卓をを片手に計算しているのを目にします。それと同じように、私たちも、電卓を片手に時々計算してみると、ただの数字としてだけではなく、グラフのような目にみえるような形で頭の中にイメージされ、お金に振り回されるのではなく、楽しく運用できるようになるところまで大きな成長を遂げるかもしれません。言うなれば、お金持ちになるか、貧乏になるかの分かれ道、その岐路に立っているというわけです。

限られた時間とお金を何に使うか?という人生の選択肢

お金に関してのノウハウやテクニックというものをイメージする部分に当てはまるもあるかもしれませんが、心理学的な研究に及んでいることもあろうかと思います。これは、「お金を使うこと」が密接に「心が動くこと」と関係しているからのようです。私たちは、経済を学ぶはずが、同時に心理学を学ぶことになって戸惑います。しかし、それは、「お金を使うこと」がすなわち「どのように生きるか」というような人生の題を含んでいるといえるでしょう。

経済学では、まず個人が持っている「予算」や「時間」を「資源」と捉えます。これをどのように配分すれば一番幸せになれるか?ということを考えていきます。そのためにはまず、「自分は何を幸せと感じるのか?」ということを十分に把握しておく必要があります。「自分へのご褒美」という言葉がよく使われるようになりましたが、それをどこにどれくらい「資源配分」するかということです。経済学に対して、数字やグラフを中心にして難しい計算式だけの堅苦しいイメージがあった方は、だいぶ生活に寄り添ったものに見えてくるでしょう。

「限られた時間とお金を何に使うことが一番自分のためになるか」ということを考えていくことが ミクロ経済学 だとすると、まるで人生をそのものをどう生きるかという学問のようです。とても心理学とか内向的な部分が重要になってくる気がします。すなわち、経済学を極めるにはまず自分を知らなければならない、自分と向き合い、自分の生き方を考える必要があるという意外な作業が伴ってくるのではないでしょうか。ちょっと難しくて必要ないと思っていた人も実は誰にでも一番学ぶ価値のあるかもしれない分野の学問なのかもしれません。

時間とお金の節約に大いに役に立つ「ディドロ効果」

ここでひとつ、体験談からミクロ経済学のような法則を紹介したいと思います。私はこれまで、1つの買い物をするといくつか他にも買い物をしてしまうという不思議な体験が何度となくあり、なぜだろうと考えていました。せっかく買い物をして手に入った物なのだから、それによって欲求が満たされて安心するはずです。それなのに、なぜか以前よりも落ち着かない、そわそわしてさらに購買行動に走ることがよくありました。ある日、もしかすると、これには何か心理的な原因、さらには名前がついているのではないか?と思いました 。 そしてそれは人間は本来の特質として、「統一感があると安心を得られる」存在であり、 無意識に「統一感」を得ようとするのが原因なのではないかと気づきました。そこで、「ディドロ効果」というものに出会うことになりました。

「ディドロ効果」 を簡単に説明すると、「新しいものを買うと同時に他のものも揃えたくなる心理効果」のことです。何か一つ自分の持っているものと違和感のあるもの、たとえば身の丈に合っていない物などを買ってしまうと、それに合わせていくつか他の必要ないものまで買うことになってしまうわけです。 昔、高級なガウンをプレゼントしてもらったディドロという人物がいました。 ディドロ は、それ以来自分の部屋の物に違和感を覚えるようになります。そして、高級なガウンに見合う高級な家具などを買いそろえていきます。 ディドロ は高級な部屋になった自分の部屋で、実は自分らしかったのは古いガウンだと気づきます。その時にはもう古いガウンも捨ててしまい、 お金もなくなり、後悔だけが残ったという体験をエッセイとして書いているそうです。

ディドロ効果が働いてしまうと、お金、時間の浪費が懸念されます。 これを知っていると、1つ目の何か自分の雰囲気に合っていないものを買って散財することを防ぐこともできます。 逆に、1つめを買ってくれる新規顧客を増やしたり、シリーズを増やしてリピーターを増やすなど、ビジネスへの応用にも役立つ知識です。 そして、このディドロのエピソードは、同時に「自分の本当に好きな物は何なのか」ということを十分にわかることが大きな損失を出さないために重要だということがわかる一つの教訓も含んでいるといえるでしょう。

映像に映し出されるイメージの刷り込みと断捨離への注意

テレビや雑誌、CMや動画の中にはいくつもの演出された背景やグッズが映し出されていると思います。実際に商品の展示されているお店へ行けば、音楽であったり、 香りであったり、さまざまな仕掛けで購買意欲をそそるように仕組まれています。私たちは、それらを目にすることによって、取捨選択をする前にすでに演出の中にあるイメージを刷り込まれています。そのグッズのある暮らし、楽しそうな笑顔、かっこいい人物像など、自分にはなぜそれがないのだろうか?と自分に疑問さえ抱く、自分の生活にないことに不満さえ抱くようになってしまうことも起こると言われています。それは、いわゆる洗脳というものだと警戒して、極力テレビなどの映像や雑誌を一切見ないようにして生活する人も増えてきています。

たしかに節約術や断捨離、ミニマリスト、シンプリストといわれるような生活が流行りつつありますが、それはそれでそのスタイル自体にあこがれを抱いて真似したくなってしまう危険も含まれているようです。軸となるのは自分です。まずは自分自身と向き合いながら、本当に自分が欲しいものとは?必要なものとは?と問いかけてみるのが正解だと思います。それは面倒なことかもしれませんが、結局は時間とお金の浪費を防ぐことになるだろうと思います。

私たちの祖母や祖父はに何も買わない、どこへも行かないという ような人も多かったものです。そのような暮らしの中にも小さな喜びは満ちていて、それでいて自分自身がその小さな喜びこそ大切にしていたのならば、それで十分幸せであり、満足であっただろうと思います。それは自分が それを 「求めて」「得られた」のだから他に何もいらないではないかというとてもシンプルな考え方です。

しかしながら、断捨離をするときの注意点として物が少ないのが良いと思い込んで、大切な文化的な資産までを捨ててしまわないようにしてほしいと思います。形あるもの、美しいもの、二度と手に入らない資料、大切な知的財産と呼べる品々、それは簡単に捨ててしまってよいのでしょうか?荒唐無稽な生活に陥ってしまわないように十分に注意していただきたいとも思います。

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