オールロマンス事件から始まる同和問題と「士農工商」の嘘

草原 社会

同和の問題の歴史をたどるとオールロマンス事件にたどり着く

ダウンタウンのコント「豆」。「豆を粗末にした」子どもと家族の結末は・・・? ダウンタウンのコント「豆」。「豆を粗末にした」子どもと家族の結末は・・・?

「ダウンタウン 豆」で検索すると動画がアップされている。本当の同和について考えさせられるという意見がある。同和問題がなぜこじれているか、これをご覧になると一番わかりやすいとの声がある。「豆」の格好をした男たちに見せられる教育スライドがもろに同和教育という指摘もある。

でもあくまで「豆」のパロディなので、ダウンタウンが笑わせてくれる作品として単純に評価が高いのでお笑い作品としてご覧いただいてもよいかもしれない。

さて、とにかくややこしい同和問題、歴史をたどっていくと一つの事件に端を発していることがわかる。それが、とても有名でこれまたややこしいオールロマンス事件である。以下にウィキペディアを参考に概要を整理してみたい。

オールロマンス事件(オールロマンスじけん)とは、1951年に部落解放全国委員会(部落解放同盟、全国地域人権運動総連合の前身)が京都市を相手取って展開した一連の行政闘争およびその契機となった事件のことである。1951年、京都市衛生課の臨時職員杉山清次(筆名・杉山清一。杉山清詩名義による作品もある)が『オール・ロマンス』誌10月号(通巻43号、オール・ロマンス社、東京)に小説「特殊部落」を発表。これは実在する京都市内の被差別部落(東七条、いわゆる柳原、別名は崇仁地区)を舞台としながら、朝鮮人の父と日本人の母を持つ医師「鹿谷浩一」と、朴根昌の二女、朴純桂(日本名「純子」)との恋愛を描いた純愛小説で、被差別部落民は登場せず、その地域に住んでいれば「部落者」と呼ばれて差別され、離れれば「部落者」でなくなるという、部落差別とも朝鮮人差別とも懸け離れた架空の「特殊部落」として描いた小説だった。

この『オール・ロマンス』という小説の舞台とされた被差別部落の住民たちの中に、地域の実態をゆがめて興味本位に描いた差別小説として抗議する動きが表面化した。市役所の左翼グループはこれを行動を起こす絶好の機会と捉え、旧知の仲であった部落解放全国委員会京都府連合会委員長朝田善之助、三木一平らに、この小説を被差別部落の悲惨さを興味本位に取り上げた差別小説として糾弾に立ち上がるよう依頼、解放委員会の名による『糾弾要綱』も執筆した。一方、京都市役所内部では同じグループが市長答弁の作成にも関与し、小説を誠に遺憾とし、同和行政予算の拡充に取り組むと市長に表明させた。

この結果、当時の京都市は1952年度には前年度の5.8倍にあたる4338万円の同和予算を計上した。

表面的に見ると以上の経過は、解放委員会の追及に対して行政側がその正当性を認め、予算の拡充を約束させるという体裁を取るように見え、運動団体が市を追及する際の鮮やかな模様を伝えるいくつかの「伝説」を生んだ。これ以降、部落解放同盟の中では、差別事件を梃子にして行政闘争に取り組み、被差別部落への同和予算を増大させるという方式の運動形態が定着した。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))

なぜ教科書は「士・農・工・商」という嘘をついたのか?

「士・農・工・商」という身分制度が、デタラメだったことが明らかになってきた。思い出すのは教科書や資料集、テストでも何度も出てきたピラミッドの図である。これがウソというのは、まさに昭和世代には衝撃的なことである。にわかには信じられないことだが、平成12年度から教科書出版大手の東京書籍が発行する教科書でその記述は削除されていたようだ。

では、なぜ「士・農・工・商」はひっそりと教科書から消されたのだろうか?江戸時代から「国民の大半が基本的に対等、平等でした。」となると、「エタ、ヒニン」の被差別部落が存在する根拠となっていたはずなので、いわゆる同和利権にも根拠がなくなってしまうことになる。「貧困ビジネス、利権のための自作自演」の疑いが色濃くなってしまうというわけだ。そもそも同和利権についてはただでさえ皆逆差別だと日本人は怒っているのだが、教育の現場から騙されてきたとは怒りを通り越して呆れてしまう。

たしかに武士が支配層として上位にいたかもしれないが、エタ頭はお金持ちで力があり、武士といえども「旗本」は大変貧しく長男以外は結婚できなかった。武士が支配層として上位にいたのは確かだが、他は対等に近いのではないだろうか。坂本龍馬がお金で身分を買ったという有名な話もある。人口の約8割は百姓だったとされているが、漁業や林業に従事する人々も百姓に含まれていた。村に住む人たちを「百姓」と呼んだのだ。それに対して町に住む人々は「町人」と呼ばれ、職人や商人を合わせた町人層は全体の5%ほどで少ない。公家、僧侶、医者などの身分の人たちは、特権階級として厚遇を受けていたことはあるようだ。

では差別階級と教え込まれた「エタ」についてはどうだろうか?実際に聞く話では、「むしろ畏敬の念を持っていた」と聞く。「ケガレが多い」という字を書くので、言い方がきついように思うのかもしれないが、歴史を知れば「嫌う」という単純な差別的意識ではなく、自分たちとは異なる世界への「畏れ(おそれ)」の意識が「ケガレ」の概念であろう。エタの方々は今の警視庁のようなイメージだ。「ケガレを払うことができる自分たちとは違う世界の人たち」で、死んだ人を扱えるのはこの方たちだけなのだからと感謝と畏敬の念を抱く存在だと思われる。実際、城下町には、死罪にされた人間や死んでしまった馬を処理する人間が必要であった。人間の死体を勝手に誰でも処理できたら犯罪が隠蔽される可能性もあるので、大変重要な任務として与えられた特権階級であった。

最近でこそ自作自演の好きな集団の存在が知られるようになったが、昔はまさか自作自演するとは思ってもみなかったお人よしの日本人も多かったと思う。最近は同和問題の異常さに気づいて警鐘を鳴らす声が多くなった。森友学園や加計学園問題が一時期テレビで騒がれていたが、土地の価格が通常よりも5分の1で払い下げられ、籠池氏がと拘束された事件もこの問題と関わっていると言われている。テレビではほとんど報道されなかった。

もともと特定の職の方(いわゆるエタと呼ばれる人々)は村落から少し離れたところに住んでいた。それは「結界を張る」という概念であった。村民の「ケガレ」を払ってくれる尊い存在であり、祈祷師がそうであるように、畏敬の念を抱く存在であった。そういう特殊な家は村でも3~4軒しかいなかった。それは古地図からもわかる。集落との境は辻(二叉路)となっていることが多く、そこに大きな木が植えられたり、お地蔵さんがあったり、小さな祠(ほこら)があったりする。村民はそこへ布に入れた豆を置いて振り返らずに帰ってくるという儀式をして厄を落としたものだ(我々世代まで残っている)。こういった日本の文化や伝統を知ると純粋に歴史が面白いと思える。

「ヒニン」にしても、最近の研究により民族的(文化的に)に全く別だとわかってきた。言い方はきついと思うかもしれないが、定住しない民族であったため税金を納めていなかったり、民として管理できていなかったので、そう呼んだのだ。彼らは移動する民族であったため一般教育も受けられなかったし、地元民との「交流自体が希薄であった」のが現実だと思われる。服を着ていなかったり、言葉が通じなかったりしたので、交流が難しかったと親などから聞いたことがある。雨の日が続くと、火と薪をもらいに子どもを何人か引き連れてやってきて、その代わりに傘や蓑(みの)を直してくれたという。農家の方々は、おにぎりをよくあげて親切にしてあげていたが、数か月するとどこか他の山へ移動してしまうのだった。それは戦後「サンカ」と呼んで取材をした方もいたが、民間に馴染んで消滅してしまった。女性はとても目鼻立ちがはっきりとして美人が多く、男性は鋭い目つきをしていて竹細工や笠や蓑を直す道具を持っていたといわれる。その文献をみると、立派な原始骨格をしていて数十キロを歩いても疲れない強い足腰を持っていて、上半身が裸の写真が掲載されている。言葉は独自の言葉や文字を主に使っていたようだ。

日本においては職人は尊敬されるのであるが、朝鮮半島で職人は下層の身分で物を屈んで拾うことさえ軽蔑されたそうだ。なぜ、職人が蔑視されていたのか?それを知るには、併合時代に朝鮮半島にあった身分制度を知る必要がある。併合前の朝鮮には、二十世紀初頭の国家とは思えないほどの厳しい身分制度があった。そして、併合前には多くの朝鮮人が戸籍を持っていなかったのである。身分には王族および親戚からなる「貴族」、特権階級の「両班(ヤンバン)」、「中人(チュンイン)」「常人(サンミン)」「賎民(センミン)」「奴婢(ぬひ)」階級があった。中人は両班から厳しく差別され、常人は常奴(サンノム)という蔑称で呼ばれていたことからもわかるように、人権のない小作農だった。その下の賎民はさらに「商人、僧侶、巫女、船夫、獄卒、白丁(ペクチョン)」に分けられる。

賤民の中で最も低い身分とされた「白丁(ペクチョン)」は戸籍がないため姓もなかった。人間ではないとされ、多くの禁があり激しく差別されたという。例えば「日当たりのよい場所に住むこと」「人前で胸を張って歩くこと」「公共の場に出入りすること」など普通の行いである。さらにその下の身分とされる「奴婢(ヌヒ)」はというと、家畜同然のように簡単に売買される対象であった。ちなみに「奴婢(ヌヒ)」は李朝末期で人口の3割を占めていたとされる。「両班(ヤンバン)」には、生殺与奪という凄まじい特権があり、「常人(サンミン)」のものは食べ物・娘・妻は有無を言わせずに奪うことができ、朝鮮の民話には「両班(ヤンバン)」障碍者にされてしまった残虐な話がいくらでもある。

朝鮮半島では儒教思想の影響を強く受けていたため「両班(ヤンバン)」は働くことを忌み嫌っていたのである。体を動かし汗をかくことは恥ずべき事とされ、自分の荷物さえ何一つ持たずに歩く者も多かったようだ。「両班(ヤンバン)」が官職につくと、家族はもちろん遠縁の親戚に対しても扶養義務を負い、一族全体を養ったようだ。こういった日本とは大きく異なる伝統を知ることによって、半島系の方々の文化的な違いを背景として知ることがヒントになりそうだ。

そもそも3~4軒しかいなかったはずのエタの住む地域に大きな部落ができたのは戦後のことといわれているが、朝鮮戦争で逃げてきた人が相当数いるのではないだろうか。 朝鮮戦争では人口の3分の1が戦死したとされているが、本当にそんなに死ぬことがあるだろうか?日本でさえそんなに死んでいないのに、数字としてありえないという意見もあることにはある。もし、そのうち日本に逃げてきた人が相当数いたとする、日本にいある戦後の半島系の方の多さとつじつまが合うというわけだ。

在日コリアンは本国からは、韓国語を話せない在日韓国人に対して「半分日本人」との意を込めて「パンチョッパリ」という蔑称で呼ばれるらしい。つまり日本では「本国へ帰れ」と非難されても、本国からは兵役から逃れている非国民と非難されて帰ることはできないというわけだ。ちなみに「チョッパリ」とは日本人への蔑称である。在日韓国人の方によると、在日の子供は韓国籍と認定されるという。法治国家の日本では信じられないことであるが、韓国は人治主義なので、19歳になると徴兵の通知が来るかもしれないと噂が流れる理由である。日本とは全く違う理屈で動く国だということがこのことだけでもわかる想いがする。

もともと罪を犯して島流しの地であった済州島には「白丁(ペクチョン)」が多い地域から貧しさと出自から逃れるために日本へ来た人も多いと聞く。 ウィキペディア(Wikipedia)によると 「君が代丸(きみがよまる) 」という貨客船 が日本統治時代の朝鮮の済州島と大阪市を結んでいた。戦前に日本にやってきた半島の方々は、日本名の方が便利だったので名前を日本語にする人がほとんど(※ 百田尚樹著『今こそ、韓国に謝ろう そして「さらば」と言おう』参照のこと。 )であった。最近では、当時の朝鮮半島の様子などがYouTubeなどの動画サイトなどでも見ることが多くなり、真実が明らかになってきているようだが、我々は嘘の情報ばかりに洗脳されてきたと思う。当時の荒れ果てた土地を日本の企業体などを使って買い上げて開拓して農業生産を上げたり、学校を建設してハングルを一般のものとして整備して広めたために現在の朝鮮半島の姿があるのだ。

朝鮮半島の南の方に住む人は、百済人(侵略してきたエベンギ族から逃れ日本へ渡来した民族)の血を継いでいる方も多いので、農耕民族で大人しく我々日本人と風貌が変わらない人も多いようだ。百済人は仏教文化や建築技術をもった民族であり、日本も大昔に白村江の戦いで助けに行ったこともある。ときどき誤解している人がいるが、大昔の538年頃、仏教とともに日本に渡ってきた百済人(渡来人)と現在の朝鮮半島の民族は全く別の民族である。一説によると、現在の朝鮮半島に住む民族は原人とエベンギ族の混血で、ホモサピエンスではない山奥の洞窟に住んでいた山葡萄原人と騎馬民族の子孫であり、混血を繰り返すことにより風貌は東洋人として日本人にも似たのだが、遺伝子的な相違はチンパンジーとのそれよりも多いというので驚く。

よく部落問題の話題になると「そういう仕事しかさせてもらえなかった罪人たちが住んでいた」という情報を流している人がいるが、罪人は処罰されているか、島流しにされて一生見張られて断絶して子孫はおらず、集落の周辺に罪人がいるなんて聞いたことはない。「食肉をする仕事がエタ」という噂を流す人もいるが、日本には食肉をする文化がないのでそのような仕事自体が必要なかったので存在していなかった。実際、食肉関係の従事者は日本人以外の民族の方が多い現状からもわかる。差別されないと優遇が受けられなくなるので困る人たちが自ら差別を広めているとガールズちゃんねるではもっぱらの噂であるが、多からず少なからず真実を含んでいるだろう。

数十年生きてきた私の周りで差別を見たことも聞いたこともないのだが、誰かの指示で「あそこの地域はああゆう地域だから・・・」と噂を広めようとする自作自演団体があるようで、学校でわざわざそういう地域があるということを知らしめることになる同和教育をする教師もいた。現在こじれている社会問題として残っているとするならば、「そこと関わるとトラブルに巻き込まれる」という体験が重なって関わりたくないと評価されるようになっただけである。とにかく、地価が下がればデベロッパー(開発者)が儲かるには違いない。

なぜ日教組(日本教職員組合)はこのようなねつ造をしてまで差別があるというイメージを国民に刷り込もうとしたのであろうか?戦後、国外からの不法侵入者が人の住んでいない駅前や川沿いなど湿地に次々と勝手に住んだという。それには地籍台帳や戸籍が戦争の混乱で消失してしまったことや「背乗り(戸籍ごと乗っ取ること)」が結構な割合で行われたことが背景にある。しかし外国から来た外国人が簡単に不法占拠できるかを考えると、誰が日本人でどこが不法占拠できるかを調べ上げたGHQが、日本の国力を弱める目的であっせんしたと考えるのが現実的のようにも思える。

昨今ではネットの力もあって、「江戸時代から国民の大半が基本的に対等・平等であった。」とわかってきてしまった。「士・農・工・商」という言葉で身分を分類した事実がない、上下関係があるようなピラミッドの図式による認識も適切ではないなどという声が次々上がったことが背景にあるのだろう。教科書の内容を牛耳っていると言われるのは日教組(日本教職員組合)だが、この組織はGHQ(現在ではCIAによって引き継がれた)によって指導されてきた歴史がある。百田尚樹氏によれば、共産党の支持母体のひとつである日本教職員組合(日教組)について、「日教組は何十年間も、純粋無垢な子どもたちに贖罪(しょくざい)意識を教え込んでいる。」「日本人でいることが恥ずかしいと教え込まれた子どもたちは立派な大人になれない」と述べている。教職員が中立ではないことが危惧される今日のようだ。

1960.70年当時の安保反対騒動で、警察に逮捕された学生は国家公務員になることができず、逮捕歴のあるものはどんなに優秀であっても大企業に勤められなかった。そこで、学生運動をしていて優秀なものは、司法試験に受かって弁護士になったという。理系でも同じである。補足、逮捕歴のないものは、公務員や公立大学・公立学校の教職員になっているものが数多い。(日弁連をYAHOO知恵袋などで調べてみるだけで、日本人以外が主体となっている驚くべき事実がわかるだろう。)

集団ストーカー犯罪被害者を取り巻く環境と歴史

この手の情報は、なぜ正しく伝えられなかったのだろうか?子どもに話したら、余計な言動がトラブルを招くことを知っていたから、大人たちは教えなかったのだと想像がつく。私は子どもの頃から異民族らしき子との間に不可解な出来事がある度に「何も言っちゃだめだよ」と注意されて口に出さないでなかったことにしたことが何度となくある。私たちの親は確実にトラブルになると大変だとわかっていたからだ。そんな状況が今も続いているといえばそうなのである。それが「集団ストーカー犯罪(あやめかし)」なのではなかろうか。

戦後、日本がなぜ互角に何年も戦うことができたのかをアメリカは研究したそうだ。研究の結果、一つの要因として「家長(かちょう)制度」が上がった。日本には相互に助け合う社会の最小単位、大家族制があったのだ。結婚してもうまくいかなかった場合は「家長」が責任をもって出戻りの娘を養った。「家長」の権限が大きく自由にできないイメージがあるかもしれないが、実際は大きな家族が支えあう合理的な仕組みであった。戦後、自由になったメリットがあるのかもしれないが、この「家長制度」が壊されたことによってどうなったか?結果出来上がったのは、失敗しても誰も助けてくれない個人主義、核家族化によって「家庭」というあまりにも弱い単位で運営されている弱体化した今の日本である。昔せっかく相互に助け合うというありがたい仕組みがあったにもかかわらず、家庭という弱小単位で戦わなければならなくなった。昔は経済的に困難になっても一家心中をする必要はなかったし、離婚して母子家庭になっても大家族みんなで子どもの面倒も見てくれたのだし、不安の少ない心強い社会であった。

そもそも西洋から見たら日本人も朝鮮人も同じであって、お互い助け合うのではなく喧嘩してくれたら国力を弱められて好都合なのではないだろうか。もし朝鮮半島が日本と協力し合えば、朝鮮半島は安泰になり、脅威である日本をさらに強大になってしまうからである。戦争で勝った国々が簡単にそんなことを許すだろうか?さらに長きにわたり研究開発した兵器を買ってくれたり、国民を管理・支配する研究実験が進められたら打ち出の小槌のように便利な存在だろう。その思惑にまんまと騙され現実となっているのが「テクノロジー犯罪」ではなかろうか?もともと朝鮮半島系の方は洗脳するのも得意な人がいる一方で、従順で素直で洗脳されやすい人も多く、その2種類の人間がいるように見える。たとえば、戦争の際、B29から日本にまかれた爆弾の量もすごかったが、その約2倍の爆弾が朝鮮戦争のときに朝鮮半島にばらまかれたとテレビの番組で見た。日本よりも人口の小さな土地に2倍の量というのは朝鮮人に対する処遇は日本人よりもひどいではないか。

戦後、あらゆる方面において国力を弱める政策で日本らしさを壊そうとしたが、農村や漁村に慢性的な嫁不足があれば朝鮮人を入植させて混血を進めることも、日本人らしさを薄める政策の1つだったようだ。そして、マスコミは愚民化政策によって日本人の見聞を政治からそらすように操作してきた。その結果一見平和な世の中に潜んでいる「敵」にさえ気づかず、「平和な日本」というイメージに騙され続けている日本の姿があるように思える。

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